安宅夏夫のブログ

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抵抗の詩 鶴彬/ボブ・ディラン その3

ataka720

その1 その2 画像版

 この十月一日の「朝日新聞」文化欄は、「世界へのピジョンと独自の言葉持つ人に」と題して、「ノーベル文学賞を選ぶアカデミー」の消息を特集している。ほぼ一頁の三分の一の大きさで、先ず「村上春樹に存在感」という見出しと、彼の『1Q84』が山積みしてあるスエーデン市中の書店の店先が「目玉」として載っている。村上春樹が、この賞の候補として毎年のように噂されているが、一日付のこの「朝日新聞」では、下馬評で「村上1位、ボブ・ディラン2位」となっているのにも目を引き付けられる。
 ボブ・ディランBob Dylan(一九四一年五月二十四日生)は言うまでもなく著名なアメリカのミュージシャン。弾き語りのフォーク・シンガーだ。
 周知の如く、長引いたベトナム戦争を忌避するアメリカの「平和願望の若者たちの代弁者」として、彼のメッセージソングやプロテストソングはアメリカ人のみならず世界の若者たちの心を掴んだ。日本では一九七八年に第一回公演を行ない、日本武道館ほか各地で演奏会を開き、今では日本においても年代を問わずに彼のファン多い。
 一九六三年六月、ニューポート・フォーク・フェスティバルに出演。彼が作詞作曲した「風に吹かれて」は、この時期、ディランと一体で活動した同じくフォークの女性歌手ジョーン・バエズもともに、ワシントン大行進でも歌われて、公民権運動が高まりを見せていたアメリカで「時代の代弁者・フォークの貴公子」と大きな支持を得た。
 同年、カーネギー・ホールでのソロ・コンサートも開かれたが、過激化する運動や、世間が自分に抱いている大げさなイメージに違和感を持ち、作風も爾来変換を重ねている。
 では、このアメリカのフォーク・シンガー、ミュージシャンのボブ・ディランが、この度のノーベル文学賞の
有力候補の一人に挙げられたのは何故かといえば、彼の詩人としての力量が「ノーベル文学賞」にノミネートされるだけの力を持っている、ということに他ならない。
 ちなみに、ここに『ボブ・ディラン全詩302篇』(片桐ユズル、中山容訳、晶文社、93)と、『ポブ・ディラン全詩集1962-2001』(中川五郎訳、ソフトバンククリエイティブ株式会社、‘05)とがあるが、後者は、全者の302篇にプラスして以降の詩篇を収録しており、つまりはボブ・ディランは作詞者として、「詩の力」において、これまでに高い評価を受けて来たことが分かる。二〇〇八年には「卓越した詩の力による作詞がポピュラーミュージックとアメリカ文化に大きな影響を与えた」として、ピューリッツァ賞特別賞を受賞している。
 ディランは、自分の歌について、「曲より詩だ」とつねづね言っている。他者が書いた「詩」を歌う歌手が多いのは当然ななかで、このディランの言は異例である。ディランはミネソタ大学に入学するも半年後に出席しなくなり、持っていたエレキ・ギターをアコースティック・ギターと交換、フォーク・シンガーとして活動を始めた。フォーク・シンガーは自作自演の弾き語りが本分だ。であればディランは、その当初から「詩の力」を押し立てて「フォーク界の王者」としての位置をゆるがせにしていないのだと思う。

風に吹かれて

どれだけ道をあるいたら
一人前の男としてみとめられるのか?
いくつの海をとびこしたら 白いハトは
砂でやすらぐことができるのか?
何回弾丸の雨がふったなら
武器は永遠に禁止されるのか?
そのこたえは、友だちよ、風に舞っている
こたえは風に舞っている

何度見上げたら
青い空が見えるのか?
いくつの耳をつけたら為政者は
民衆のさけぴがきこえるのか?
何人死んだら わかるのか
あまりにも多く死にすぎたと?
そのこたえは、友だちよ。風に舞っている
こたえは風に舞っている

幾年月 山は存在しつづけるのか
海に洗いながされてしまうまえに?
幾年月 ある種のひとぴとは存在しつづけるのか
自由をゆるされるまでに?
何度ひとは顔をそむけ
見ないふりをしつづけられるのか?
そのこたえは、友だちよ、風に舞っている
こたえは風に舞っている

 ここに引いたのは、ディランの代表作。一時同伴者であったジョーン・パエズほか、日本国内でも反戦フォークソングの定番として、今では「反戦」という冠を外してのロングセラーとなっている。
 このボブ・ディランは芸名であり、よく知られているようにディラン・トマスから得た。ボブ・ディランは幼少年時代から読書に熱中し、中でもメルビルの『白鯨』が愛読書であったとのこと。この伝ではディラン・トマスも全く同様であった。ウェールズで生まれたトマスだったが、父は英語の学位を持つ作家で、トマスを母語のウェールズ語ではなく英語で育てた。トマスは、英語で執筆した最も偉大な詩人の一人として今も見なされているが、一九五三年十一月、アメリカ旅行中に過度の飲酒で倒れて死んでいる。このトマスの朗読は非常に力強いもので、プロモーターとして最初にトマスをアメリカに呼んだJ・M・ブリミン(トマスの評伝『詩人の運命 ディラン・トマスの肖像』関口篤・高鳥誠訳、晶文社、一九六九)は、以下のように書いている。

 時間がくると彼は肩を張り、胸をつき出し、鳩のように口をとがらせてステージに進み出て、アメリカに詩の朗読の全く新しい思想をもたらせたあの演技の第一回目にすべり出していたのだった。イェイツ、ハーディ、オーデン、ロレンス、マクニース、アラン・ルイス、イーディス・シットウェルを読みすすむにつれての彼の声の巨大な幅と深い反響力は、親しい韻律に音楽を与え、時には頁の上には読みとれなかったその詩の新しい価値を明らかにさえするものだった。朗読会を彼は自分の作品で締めくくった。優しいリリカル
なものを朗々たる詩句の組合せの絶対的権威をもった朗読で、音楽と意味のどちらがより多くの感銘を与えたのか、その推測は困難であった(以下略)。

 ディラン・トマスの朗読はレコードにもなっていて、トマスの生地の記念館では聴ける由だ。
 ここからは想像であるが、今、自作の多くの詩によってノーベル文学賞にノミネートされるようになっているボブ・ディランであるが、彼が、最初、エルビス・プレスリーなど先行する、あるいはビートルズなど同世代が携行したエレキ・ギターを早々に売り払って、弾き語りを行うアコースティック・ギター(加えて彼はハーモニカを顔面に取りつけている)に換えた理由は、ディラン・トマスが先鞭をつけた「口唱によって、時の、言葉の真の力を聴衆にダイレクトに伝える」というところにあったからではあるまいか。
 ボブ・ディランは、つねづね、自分の曲が多くの人を引きつけるのは、「言葉だ。詩だ」と繰り返して言っている。
 時代が違うとはいえ、日本では鶴彬(小林多喜子ら)が国家権力に虐殺されたことを思うと、今日のアメリカでは反戦運動の先頭に立ったミュージシャンが「国家の誇り」になる。「言葉の力」ということでは、「日本」「アメリカ」の区別はない。「アメリカの国力」の自信を、こんなところでも思わないわけにはいかない。

(アメリカの代表的な週刊誌『ROLLING STONE』は十月二十七日号において、オバマ大統領からディランは「自由に尽くした」ことで勲章を受けている写真がカラーで載っている)