室生犀星評伝のために その2
上述した如く、財部鳥子さんの『猫柳祭――犀星の満洲』が出ました。これは「新潮」(2003年8月刊)に掲載された作品の刊本ですが、「あとがき」に拠ると初校は詩誌「幻視者」(主宰・武田隆子)に1985年冬号から1988年夏号まで10回連載されていて、この時のタイトルは「哈爾濱の旅びと」でした。
私は、1999年夏中国東北部(旧満州)長春(旧新京)で開催された「日中大衆文学シンポジュウム」に尾崎秀樹を団長とする日本側の一人として参加、シンポジュウムの後、ハルビンまで私たち日本人一行は出かけました。私は、この長春でのシンポジュウムに参加発表することは、犀星の『哈爾詩集』の現地・現場に足を印す、という意味でもおおきな期待がありました。
以下、犀星が詩に詠んだハルビンや大連の詩篇についての財部さんの批評は、犀星の人と作品の秘密を射抜いて間然するところがない、と私は思いました。
すらぶの琴
とつくににありて
われは琴を弾きけり。
妙なるすらぶの琴を
日もすがら掻き鳴らしけり。
きみは蛍のごとく
われは老いたる虎のごとく
霾(ばい)の罩めたる日のなかに
すらぶの琴を掻き鳴らしけり。
財部さんは、この詩について「初出」では、こう書いています。
「犀星はすらぶの琴、つまりバラライカを旅のつれづれに掻き鳴らしているといっている。しかし、この琴が実際のバラライカだろうか。言葉はもっと比喩的に使われていいと私は思う。たとえばすらぶの琴は「古き宝石のごとき艶を持てる」ハルビンの都である。詩人が蛍にも、なめまかしい女性にも例えていたこの都への思慕を述べているのだと。けれども室生犀星はそんなに気取った象徴詩人ではないから、私はもっと現実的に、蛍のごときハロフカ(注1)の少女がすらぶの琴ではなかったかとも考える。ムラトー(注2)のようなガイドがいて、『白と、まっさらのしろと』と叫び、そうして『妙なる』大きな尻を持つ美少女が、一人の女の姿を借りて現れることはなかっただろうか。」
「貧民窟」。ロシア革命のあとにハルビンに雪崩れ込んだ気の毒な亡命ロシア人は、金も職もなく、ハルビン市建設当時、つまり、帝政時代から住んでいるロシア人とは別な階級をつくり、美しい娘がいれば体を売る破目にも、大切に持って来た装身具や骨董品を手離す仕儀にもなった。>
「ポン引き」。彼らは日本人の男の泣き所をよく知っていて、日本人の根強い白人コンプレックスを見抜き、海千山千の巨大な白人女ではなく、「しろと(素人)」の美少女を持ってきて、極東のロシア人への深い同情と白人コンプレックスをすり替え、その商売は常に成り立っていたようだ。>
この度の『猫柳祭』では財部さんは、こう書いてます。
「詩「すらぶの琴」の喩はよみようによってはとてもエロチックである。蛍は藍色の瞳を持つ少女で、老いたる虎は犀星であるだろう。」
と。
また、「濁り江」と題して「松花江」を詠った詩、
松花江の波にごり
ひねもす春の日もとに
まだ寒きさざなみを立ててうち寄せり。
うら寒きさざなみなるかな
氷をまぜてかちかち鳴れるに
われはその一片を手にすくひ
はるか茫茫たる対岸を眺めたり。
あはれ松花江の水澄むことなく
濁りににごりて行くところを知らず
黄竜叫ぶことなく過ぐるなり、
ゆうべ見しをみならもまた濁れる波が、
濁れる波のゆくえ遂に知らざるなり。
について、ラストの2行が、ハルビンに滞在して悲惨な日々を過ごすほかなかった白系ロシア人の娘たち、亡命の女たちの運命と、江水の色が重層されているようだ、と書いています。
また、さらに、犀星の紀行文集『駱駝行』と共振させて、こうも書き進めます。
「「ゆうべ見しをみなら」は「中央大街を折れまがると薄ぐらい通りが幾つも溝のやうなを割れ目を見せて不意に随所に続いてゐた。」そのあたりの秘密のドアの向うの客を待っている女、そこに入れてもらえれば、広いホールに一列になって腰を下ろしている露西亜娘たちのなかから、「薔薇色の胸と背中とをそれぞれに盛りあげ、ぴちゃぴちゃする肉体を」感じさせる女を選ぶことができた。また中央大街の辻辻には、夜ともなれば街の姫君が立ちならぶ。」
犀星は、この時期、ハルビンが国際的に空白地帯であって、その地へ金のある日本人、それも文化人が盛んに出かけていた様子を良く研究していました。
財部さんは、詩人春山行夫の『満州風物詩』(1939年)に「我々はそこから迷路のやうにつづいた蟻の通るやうな路次に入った。そして真中の板塀を隔ててその両側が共同便所のやうに狭く区切られて居り、その一つ一つの窓に布がかかってゐて香蘭とか秋琴とかいふ女の名前が書いてあるのを見た。」と記してあるのも紹介しています。この場所は中国人街の傳家甸(フウジャデン)の淫売窟。財部さんは本著の執筆に当たって、現地から引き上げて来た元新聞記者から、ハルビン滞在中の犀星のことを詳しく取材しています。犀星は、こうした場所にも行き、詩「南京豆」「石炭箱」「山査子」などを書いています。
私も、前記したハルビン滞在中、犀星の詩に誘われて「傳家甸」を尋ねてみましたが、新生中国に淫売窟はなく、広い魚市場の中に犀星の詩「鼈(すっぽん)」にある様子そのままに、「わんぱあ、わんぱあと叫」んでいる売り子を見出したことでした。(わんぱあーー鼈)。
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